叔母の葬儀に参列して感じた家族葬のありかた。

昨年、家族葬の専門施設を大阪で比較して選ぶHPは母方の叔母が亡くなった時に初めて家族葬に参列しました。
叔母はまだ69歳。脳梗塞による突然の別れでした。
わかりにくい大阪の家族葬の法事法要を務めた叔父は無神論者だったのでお坊さんも呼ばす、参列者は15人位の親族のみ。
お経や特別なセレモニーがあるわけではなく、お通夜は斎場の小さな部屋で皆で集まり近所のスーパーで買ったお弁当を食べました。
故人様を偲ぶお花いっぱいの家族葬なら寝屋川フローラルホールが翌日も特別なことはせず、出棺の時間になると叔父があいさつをし、棺に花と折り鶴を入れて出棺となりました。
これで終わりです。
叔父と叔母は仲が悪かったわけではなく、無神論者の叔父にとって死後の儀式は必要ないものという判断だったのでしょう。
ただ生前、社交的で友人も多く、季節ごとのご先祖様のお弔いもきちんとしていた叔母を思うとなんとも寂しい葬儀でした。
もちろん、家族葬を否定するわけではありません。身内だけで最後の時をと思う選択も反対しません。
ただ、参列した親族にはこの叔母の葬儀は不評でした。
92歳の祖父は自分の娘が枕経も戒名もないまま骨になってしまったと泣いていました。
無神論者、有神論者関係なくお互いの葬儀については夫婦で元気なうちに話し合う必要があると強く感じました。
何の準備もないまま突然他界して、友人にも知らされず戒名もないまま納骨された叔母を思うと波だが出てきます。