私が家族葬を本気で大阪だと考えると初めてお葬式に参列をしたのは小学生の頃、ひいおばあちゃんのお葬式でした。
田舎に住んでいるということもあり、お葬式は盛大で自宅での葬式でした。
各宗派の違いや特徴について調べると外には巨大な花輪や受付用のテントが張ってあり、それはそれはびっくりしました。
地元のしきたりで、お食事の準備や諸々と当日の台所の世話は近所の人がする決まりのため、
家族は全員、奥の応接間で待機していました。
近所のつながりが広いこともあり、大阪ではなかなか出来ない家族葬が当日は自宅に入れないほどの参列者に来ていただきました。
晴れていたので庭にはお焼香の列ができていたのを覚えています。
中型バス数台を手配して、焼き場までいき、またぞろぞろとバスで帰ってくる。
家族葬を見直すなら大阪で小学生の私はあまり理解をしていなかったので
バスでの移動が遠足気分で少しだけそわそわしていました。
ただ、初めて死体を目にしたときは、とても怖く感じました。
お葬式に参加をし亡き人を送り出す感覚というより、
小学生の私は、直葬を少ない費用で大阪なら出来ることは人の死を必至に理解するためのイベントのような感覚だったと思います。
それから、10年程度たったころ。祖母の葬式がありました。
中学生の私は人の死は理解できている年齢です。
祖母の家は狭いこともあり、葬式屋での葬式に変更。
曾祖母の時にずらずらとならべてあった高さ3メートルほどの花輪はなく、
大阪では誰にでも相談できる散骨なら室内におけるコンパクトタイプになってました。時代を感じます。
200人以上入れる会場は参列者でいっぱいになりました。
家族の待合部屋に通夜から泊り込み、
みんなでごはんやお菓子をたべながらただただ時間が過ぎるのを待っていました。
雰囲気を作り出す司会者の仕事っぷりに見とれながら、せかせかと動き回っているスタッフを見て
葬式屋さんは大変だなと…次は、働いている人を観察する余裕さえある参列でした。
最後に参加したのは祖父の葬式。
最近は自宅で葬式を上げることの方がめずらしく、当たり前のように葬式屋さんでの葬式に決定。
大学生だった私は、家の手伝い(お金の計算等)にも参加し、よりお葬式の裏側を知ることになります。思っていた以上に高い。結婚式かというほどのお金がかけられていることを知りました。
多くの人を招くお葬式は大変だなと実感。
祖父は小さな会社を経営していたこともあり、参列者も多いだろうと広めの会場を予約していたのですが、当日は結構すかすかでした。。。
人は、お葬式の時にその人の人生がわかるというのはこういうことかと感じてしまいました。
大人になり結婚。そして、結婚したその年に嫁ぎ先の祖父母が相次いで他界。
しかし、参列していません。
簡単に家族葬をしたとのこと。(孫は家族葬からはずれることにびっくり)
お墓はマンションタイプとのことですがまだ行ったことはありません。
時代はどんどんコンパクトに。
お葬式の形がこの20年でここまで変わるとは…昔は想像もしていませんでした。